ゴンベェの気のままブログ

北九州大好きな私が北九州の良さを伝えていくブログ。他にも趣味の旅行やグルメ、ゲームやアニメのブログも。全国にいるゴンベェのトップを目指す。

進撃の巨人 最初で最後の考察 #1

先日最終話を迎えた進撃の巨人。筆者なりに考察してみた。

 

始祖ユミルが道に居続けた理由

それは愛と奴隷という性です。

最終話でエレンがユミルはフリッツ王を、愛していたがために道に囚われたと語った。なぜか?それは巨人の力を行使しているときは自分を見てくれる。だからこそ、それが愛だと勘違いしてしまったのではと思われる。実際はフリッツ王はユミルを愛しているわけではなく、その巨人の力を欲していました。子供を作ったのもその力を引き継がせるためでしょう。死の直前もその姿勢は変わりませんでした。

 そしてもう一つ。奴隷という性です。奴隷であったユミルに自由意志や拒否はありません。言われるがままです。それは死して尚、道で巨人を作り続けていた理由でしょう。

ユミルが欲したもの

それは「愛」と「自由」です。

それも正真正銘の男女の愛と奴隷からの脱却→自由ということです。ただ自分ではどうしようもできない。ならば他人にやってもらうことでそれらを叶えようとしました。それがエレンとミカサです。

まさか、2000年後の君へはエレンではなくミカサだったことには驚きました。

なぜミカサなのか

作中でもエレンはミカサの選択で結果は変わると発言しました。なぜミカサか。エレン同様にユミルの胸中は分かりませんが、本人の中で確固たる動機が存在します。他の考察者のように、ユミルはエレンに自分を重ねているでしょう。ユミルはフリッツ王の奴隷。エレンは自由の奴隷。それを断ち切るミカサ。

世界を滅ぼせる力を持つエレンを道具(殺戮者)ではなく、一人の人として愛した(好き)ミカサに止められることで。

ユミルが解放される条件

愛したものによって止められること。ただ止めるだけではいけない。それだったら誰でもできるため。

ミカサがエレンを愛していると認識させる必要性

恐らくこれが1番大事なことだと思う。エレンが見た「あの光景」とは、自分を愛したとしっかり認識したミカサに止められること。

ミカサがエレンを好きだということは、読者の我々は周知の事実だが当の本人は、「自分がいないと早死にする」エレンの「お前にとって俺とはなんだ」の問いに「家族」と答えるように、恋人というよりかは「守るべき対象」「友達以上恋人未満」というのが、ミカサの中の感覚でしょう。

だからこそエレンはミカサに自分の事が「好き」という感情を認識させる必要がありました。エレンが単独でマーレに潜入したのは、ミカサに「お前にとって俺とはなんだ」の問いに「家族」と答えた後です。その後にジークとあってアッカーマンについて聞きました。そこでエレンは、無自覚ではあるがミカサがエレンが好きだという確証を得て、圧迫4者面談でミカサ強引に引き離したのでしょう。そうすることでミカサの中での変化を促したと考えられます。

これ以上もう考えられないので、今日はこの辺で締めたいと思います。

皆さんはどういった考察をお持ちでしょうか。コメントをください。

次回の記事で会いましょう。